昨年6月のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから1巡目指名されたカーター・スチュアート・ジュニア投手(東フロリダ州立短大)がNPBの福岡ソフトバンクホークスに入団した。早速、エポックの「EPOCH-ONE」で背番号2のユニホームに袖を通しガッツポーズをとる入団会見のカードが作られた(すでに販売終了)。
フロリダ州のオー・ガリー高時代にドラフト全体の8番目、ブレーブスから1巡目指名を受けたスチュアートの経歴、ホークス入団までの経緯や辣腕代理人のスコット・ボラス氏の話題は他のメディアで報じられているので、今回は野球カード的な視点から、スチュアートのホークス入団を考えてみたい。
日米の野球界にとって「歴史的」と言っていい出来事は野球カード界にとっても「歴史的」な出来事になりそうだ。これまでNPBでプレーしたMLBドラフト1巡目選手は多かった。今季もマレーロ(オリックス)、ジョンソン(広島)、ハフ(ヤクルト)がそうだが、彼らはMLB、もしくはマイナーに所属した後に来日した。しかし、スチュアートは前年のドラフトで1巡目指名されたアマチュア選手である。
話は若干、それるが79年のMLBドラフトでサンディエゴ・パドレスから2巡目指名されたが入団を拒否して来日。社会人のプリンスホテルに所属したデレク・タツノというサウスポーがいた。当時、埼玉県所沢市の小手指にある予備校に通っていた筆者は、毎日、通学途中にあるプリンスホテル野球部の合宿所の前を通って、タツノに遭遇しないか、ドキドキしていた。かばんにボールを忍ばせて、もちろん、サインをもらうためである。
結局、一度も会えなかったタツノは82年の2次ドラフトでブルワーズから1巡目指名を受け帰国してしまった。筆者のほろ苦い思い出である。
タツノにとっては高校時代にレッズから受けた6巡目指名も含め3度目の指名でついに1巡目指名を受けたのだが、スチュアートとホークスが結んだ契約期間は6年。その後はMLB入りがウワサされるが、NPB、とくにホークスの育成システムを気に入っての選択は、純粋に日本で投手として成長したいようだ。
ホークス入団まではアマチュア選手。カードもLEEFから発行されているものしかない。それでも、米国ではPANINIの米国代表ものに代表されるように、アマチュア選手のカードは根強い人気がある。TOPPSがMLB選手のカード化の権利を独占しているための影響もあるのかもしれない。
日本ではアマチュア選手、とくに高校選手のカード化は乗り越えなければならない大きな壁がある。オコエ(東北楽天)世代、根尾昂(中日)世代の甲子園、侍ジャパンでの活躍のカードを作れば話題になったはずだが、それは夢のまた、夢の話である。BBMがかなりの苦労をしてカード化にこぎつけた「東京六大学リーグのカードセット」は早大・斎藤佑樹(北海道日本ハム)人気もあり、好企画だったが…。
米国メーカーによる日本人アマチュア選手カードではかつて、UPPER DECKが斎藤佑樹(北海道日本ハム)の早大時代、訪米した大学日本代表からサインを集め、ジャージーカード、パッチカードとともにサインカードを米国代表カードボックスに電撃的に封入し、日本のコレクターを歓喜させた(本当にカード化の許可を得たのか、ハラハラしていた)事件もあった。今年、PANINIが「ELITE EXTRA EDITION」に結城海斗(ロイヤルズ)のシニア選抜時代のユニホーム姿でカードを作った(詳しくはTCJニュース参照)。
鈴木誠(元ロイヤルズ)、田沢純一(カブス)のように、日本人選手がNPBを経由しないで米球界に挑戦するケースはわずかだが、いた。今年も吉川峻平(ダイヤモンドバックス)が渡米した。しかし、今回のスチュアートのようにこれからは、MLBを経由しないで来日する米国のアマチュア野球選手が増えるかもしれない、という。
そうなると、PANINIの米国代表カードが日本でも人気をアップさせ、他社もどんどん、アマチュア選手のカードを制作するかもしれない。日本は米国メーカーにとっては大きなマーケットのひとつなのだ。さらに、過去のハンカチ世代の日本代表カードのように米国でも抜き打ちでアマチュア日本人選手のカードが作られる可能性が増えたともいえる。つまり、スチュアートは日米のカード界の新しいボーダレス時代のきっかけを作ったのかもしれない。
スチュアートには6年間、故障なく、NPBを代表するエースに成長して欲しい。彼の決断がカード界にもどんな意味があったのか、契約が満了する6年後にはわかるだろう。