【スポーツカードの歴史】
スポーツカードの誕生は1880年代までさかのぼる。この時代のアメリカでは紙巻きタバコが流行しており、紙で出来たタバコのケースが輸送中に潰れないよう厚紙を入れて補強していた。ある日、とある会社が補強用の厚紙に当時人気だった野球選手を印刷してケースに封入すると、その厚紙目当てにタバコを購入する客が増え売り上げを伸ばした。同業他社もその成功にならい自社製品に野球選手を印刷した厚紙を封入するようになり、これがスポーツカードの始祖・ベースボールカードの始まりと言われている。
1930年頃になるとタバコカードの流行はひと段落してしまったが、その代わりに登場したのがガムであった。バブルガム(風船ガム)を考案したフリアー社をはじめ、ボウマン、トップスといったガム会社が次々とベースボールカード業界に参入。複数枚のカードとガムを同梱した商品を発売し、ビジネスの規模をどんどん拡大させていった。
この当時、アメリカにおける大衆の娯楽といえば何をおいても野球。そんな時代背景の中、1891年に生まれた新しいスポーツ「バスケットボール」のプロリーグが1946年6月6日にアメリカで産声を上げる。
【NBAカードの誕生】
記念すべき最初のNBAカードは1948年に発行された『ボウマン』。やや正方形に近い形状(5.24cm×6.35cm)のカードで、1パックの中に5枚のカードと3枚の風船ガムを封入して販売されていた。
「最初のNBAカード」とは言ったものの実はこのセットに収録されているのはBAA(バスケットボール・アソシエーション・オブ・アメリカ)と呼ばれるNBAの前身となったプロリーグのカード。BAAがNBAに改名するのはこのセット発売された翌年の1949年のことなので、実質的にはこのボウマンのBAAカードセットがNBA初のオフィシャルカードセットとして認知されている。
そしてこのセットが発行された1948年はBAAがライバルリーグのNBL(ナショナルバスケットボール・リーグ)から数チームを引き抜き、リーグの規模を更に拡大した年でもあった。その引き抜いてきたチームのひとつ、ミネアポリス・レイカーズ(現ロサンジェルス・レイカーズ)に所属していたのが「NBA最初のスター選手」とも言われる長身(208cm)のジョージ・マイカンだ。
ボウマンは全72枚のセットで、1~36番までのシリーズ1と、37番~72番までのシリーズ2に分けて発行された。マイカンのカードが入っているシリーズ2はシリーズ1に比べて発行数が少ないと言われており、そのことが更にマイカンのカードの価値を押し上げている。
ボウマンの次に発行されたのは1957-58年の『トップス』。そして、その次が1961-62年の『フリアー』となる。トップスはビル・ラッセル、ボブ・クージー(どちらもボストン・セルティックス)、フリアーにはウィルト・チェンバレン(フィラデルフィア・ウォリアーズ)、ジェリー・ウエスト(ロサンジェルス・レイカーズ)、オスカー・ロバートソン(シンシナティ・ロイヤルズ)等、NBAの歴史に残る名選手のルーキーカードが含まれている。
これらNBAの最初期に発行された3つのカードセットにはいくつかの共通点がある。そのひとつ目は「3社ともベースボールカードを発行していたガム会社」ということ。そして、ふたつ目は「いずれも1年のみの発行で終わっている」ことだ。
この事実から読み取れるのは、各ガム会社は新しいビジネスとしてNBAのカード発行に目をつけたものの、新興リーグで人気もあまり無いNBAではカードは売れず1年で撤退を余儀なくされた、といったところだろうか。
【低迷の時期・救世主の登場】
その後、トップス社が1969-70年シーズンから13年連続でNBAカードを発行したものの、やはり売れ行きが良くなかったのか1981-82年シーズンを最後に発行を終了。この期間にはNBA歴代1位の得点記録を持つカリーム=アブドゥル・ジャバー(ルーキー時代はルー・アルシンダーという名前、ミルウォーキー・バックス)や「ドクターJ」の異名を持つジュリアス・アービング(バージニア・スクワイアーズ)、大学時代からのライバルであったマジック・ジョンソン(ロサンジェルス・レイカーズ)とラリー・バード(ボストン・セルティックス)らのルーキーカードも発行されているが、当時のNBAの人気を飛躍的に上げるところまでには至らなかった。
トップス社が発行を停止した翌年の1983年には、新たにスター社がNBAカードビジネスに参入。だがこのスター社は全国規模でカードを流通させる能力が無く、メールオーダーによる通信販売や会場の売店など限定的な場所での販売のみとなった。スター社のカードは通常のトレーディングカードとは違い、フランチャイズごとのチームセットを透明なポリ袋の中に入れて販売する形態を取っていた。
このスター社のカードも今までと同様に売れ行きは良くなかったのだが、しかし同社が発行した1984-85年シーズンのセットには後にNBAのみならず世界のスポーツシーンを大きく変える偉大な選手のカードが収録されていた。1984年デビューの新人選手、マイケル・ジョーダン(シカゴ・ブルズ)である。
これが「バスケットボールの神様」ジョーダンの記念すべきファーストカードになるのだが、残念ながら正式なルーキーカードとしては認められておらず、XRC(エクステンデッド・ルーキーカード、拡大解釈上のルーキーカード)扱いとなっている。なぜこのカードが正式なルーキーカードにならないのかと言うと、前述のようにスター社の販売経路はごく限られたものであり誰もがカードを購入出来る状況にはなかった。これによりスター社のカードは正式なトレーディングカードの条件である「公(全国的)に販売されたセット」を満たさず、このジョーダンのカードも条件付きでのルーキーカードという扱いになったのである。
スター社が1985-86年シーズンでカードの発行を終了すると、翌1986-87年シーズンからはフリアー社が再びNBAカードに復帰。その年に発行された『フリアー』は1981-82年発行のトップス以降、初めて公(全国的)に販売されたセットとなったので、その関係上、1981年以降にデビューした選手のカードが全てルーキーカード扱いとなった。
その対象にはジョーダンやアキーム・オラジュワン(ヒューストン・ロケッツ)、チャールズ・バークリー(フィラデルフィア・76ers)らの「NBA史上最高のドラフト年度」と呼ばれる1984年ドラフト組に加え、カール・マローン(ユタ・ジャズ)、パトリック・ユーイング(ニューヨーク・ニックス)、アイザイア・トーマス(デトロイト・ピストンズ)、ジェームズ・ウォージー(ロサンジェルス・レイカーズ)などNBA史に残る選手たちが揃っていたため、今でもNBAカードの中でも最も重要なセットのひとつとして認識されている。
【世界的なブーム到来】
ジョーダンという強烈な個性を持つ選手の登場により、NBAカードの売れ行きは徐々に好転していく。フリアー社はこの年以降ずっとカードの販売を継続。また1989-90年シーズンには新規参入の『フープス』が登場。それに続くように1990-91年シーズンには『スカイボックス』、1991-92年シーズンには『アッパーデック』が加わりNBAカードビジネスはここから急激に成長していくこととなる。
特に高級版カードという概念を持ち込んだアッパーデック社の参入はトレーディングカード業界全体にインパクトを与えた。同社が参入した翌年の1992-93年シーズンにはスカイボックス社が『スカイボックス』を高級版化。またフリアー社は『ウルトラ』という高級版の新ブランドを作り、更にこの年にNBAカードに復帰したトップス社は廉価版の『トップス』に加えて高級版ブランドの『スタジアムクラブ』も制作し、全てのカード会社が高級版への対応を始めていた。
これらのことからも分かるようにNBAカードのビジネス規模はこの年を境に加速度的に拡大していった。その要因としてジョーダンの存在は確かに大きいのだが、忘れてはいけないトピックとしては「バルセロナ五輪(1992年)でのドリームチーム誕生」がある。
オリンピック決勝まで全試合を圧勝で勝ち進み優勝したドリームチームの存在は世界中のスポーツファンの心を虜にし、これがきっかけとなり世界でのNBAの認知度・人気が爆発的に向上した。NBAカードは全世界に輸出され、またカード裏面の説明が各国の言語に直された「海外語版」もいくつかの国で作られ販売されるほどであった。日本でもコンビニにNBAカードが並び、テレビではNBAカードメーカー(フリアー)のCMが流れていた、と言えばその凄さは理解してもらえるだろうか。
また1992年でもうひとつ特筆すべき出来事は、シャキール・オニール(当時オーランド・マジック)のデビューがある。ボールを持ったら全てダンクに行くモンスターのようなプレイぶりで当時のNBAファンを虜にした。彼のルーキーカードを引き当てようと多くのファンがパックを開封したことがNBAブームとNBAカードブームを更に加速させたことをここに記しておきたい。
以上、1992-93年シーズンまでのNBAカードの歴史を駆け足で書いてきたが、想定していたよりも多い文章量となったのでひとまずここまでを前編としてひと区切りとしたい。
soma【ライター/イラストレーター】
長年カード関連の企画・出版物に記事を寄稿しているライターであると共に自身も90年代初頭から四半世紀に渡りカード収集を続けているカードコレクター