F・マリノスサポーター、いや松本山雅サポーター、全国のサポーターも含むかもしれないが、特に16年間在籍したマリノスのサポーターにとって8月4日は、忘れられない一日と今でもなっている。
2011年8月2日。松田直樹選手は、松本山雅の練習中に突然倒れ、搬送先の信州大病院で懸命の治療の甲斐もなく、4日午後1時6分、多くの人々の祈りは届かず息を引き取った。享年34歳。急性心筋梗塞だった。
8月は、身体能力に優れ、スピード、パワー、駆け引きとすべてを兼ね備えた希代の名センターバックとして横浜F・マリノス、松本山雅、さらに日本代表として活躍した松田直樹選手の追悼の意味も込めて記事を書かせてもらいます。
群馬県・前橋育英高から1995年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入し、2010年に退団するまでの間、横浜F・マリノスから松田直樹選手のトレーディングカードは数多く出されてきた。
中でも印象に残っているのは、「2006 TEAM EDITION PREMIUM」に収録されていた、彼のトレードマークとも言える「HAIR BAND」カード。
おそらくJリーグのトレーディングカードとして、ヘアバンドカードは初の企画だった。
そして、2009年。横浜開港150周年(Y150)を記念したこの年の横浜F・マリノス「スペシャルエディション」には、Jリーグのトレーディングカードとしてはこれまた初となる「NAME BLOCK」カードがインサートされた。
松田直樹選手のカードは、Y150周年記念ユニフォームで構成され、青いユニフォームに赤文字で「M・A・T・S・U・D・A」の7文字が2セットのみ。
(他に、ホームユニフォームで中澤佑二選手のB・O・M・B・E・R。アウェイユニフォームで渡邉千真、坂田大輔選手も封入されていた)
松田直樹ファンにとっては、非常にコレクションが困難なアイテムだった。
ちなみに、2009年スペシャルエディションには、1995年の加入からを振り返った「History of Naoki MATSUDA」(15枚)のサブセットや、
カートン購入特典として、「Naoki Matsuda Memorial」BIG EMBLEMカードが限定100枚封入されていた。
自分の好きな選手にこだわって集めるのもトレーディングカードの楽しさ。
多くのファンから愛されながらも、若くしてこの世を去った松田直樹選手。
改めてカードを手にするとき、松田直樹選手の熱き闘志とプレーが、心に甦る。
Chief【ライター】
国内サッカーを中心にトレカの世界を長年に渡って見守って来た元スポーツ雑誌編集者。横浜F・マリノスサポーター。