2002年は、日本中はもとより世界中が湧きに沸いた日韓ワールドカップが開催された。
1998年に初めて日本代表がワールドカップ・フランス大会に出場して4年。韓国との共催とは言え、自国で世界の祭典、ワールドカップが日本で開催されるとは多くのサッカーファンにとっては、まさに夢の実現とも言える出来事だった。
フィリップ・トルシエ監督の指導の下、強化された日本代表はベルギーとの初戦を引き分け、続くロシア戦では稲本選手の決勝ゴールでワールドカップ初勝利。チュニジア戦にも勝ち、2勝1分けでグループリーグを突破。決勝トーナメントに進出するという快挙を成し遂げた。
決勝トーナメントの1回戦でトルコに敗れたものの、日本代表の活躍に日本中が熱狂した。あの興奮は忘れられない思い出と言える。
日本代表メンバーは、シドニーオリンピック世代の中田英寿選手、松田直樹選手、宮本恒靖選手に加え、黄金世代と呼ばれた小野伸二選手、稲本潤一選手、中田浩二選手ら強力な顔ぶれが揃った。
印象に残った選手は数多くいるが、私にとっては宮本恒靖選手が一番。大会直前の練習試合で鼻骨骨折を負うというアクシデントに見舞われながらも、ベルギー戦でこれまでフラット3の一角を占めていた森岡隆三選手の負傷により出場の機会が巡ってきた。鼻骨骨折をした顔面を保護するためにフェイスガードをつけ、クレバーなディフェンスと不屈の闘志を見せた。
現在、ガンバ大阪の監督としてクラブの躍進に辣腕を振るっている宮本選手だが、選手としてはガンバ大阪でJ1リーグ337試合出場、日本代表としてAマッチ71試合に出場と輝かしい戦歴を持つ。そんな宮本選手がAマッチで初めてキャプテンマークを巻いたのは2002年3月21日のウクライナ戦。森岡選手に代わりフラット3の真ん中として先発し、何度かあった決定的なピンチにも冷静に対応。日本代表の1対0の勝利に貢献した。
今回紹介するのは、宮本選手の「2002 FIRST CAPTAIN」ゲームジャージーカード。初めてA代表のキャプテンを務めたウクライナ戦での試合写真が使用されている。
2002年の日韓ワールドカップだけでなく、2006年のドイツワールドカップでも抜群のリーダーシップを基に日本代表のキャプテンを務める事となる宮本選手。その軌跡の第一歩となるウクライナ戦での雄姿をカード化した事は大変に意義深いものであり、思い出の1枚として大切にしたい。
Chief【ライター】
国内サッカーを中心にトレカの世界を長年に渡って見守って来た元スポーツ雑誌編集者。横浜F・マリノスサポーター。