第102回天皇杯の決勝が10月16日、日産スタジアムで行われ、ヴァンフォーレ甲府がサンフレッチェ広島を破り、初優勝を果たした。J2勢としては91回大会のFC東京以来の制覇で、J2チームがJ1チームを下しての優勝は大会史上初の快挙となった。
延長も含め合計120分の死闘を終えて1対1の同点でもつれ込んだPK戦。甲府5人目のキッカーはキャプテンのDF山本英臣。ゴール左上に冷静に決めて5-4。甲府は初タイトルを手にした。在籍20年目となる42歳の大ベテランは「(河田に)一度救ってもらった命。いま思い返すと怖いけど、あのときは意外と冷静だった」と延長後半に自らのハンドによって招いたPKと、その後のPK戦を振り返り、「みんなに(タイトルを)取らせてもらって感謝しかない」と頭を下げた。
試合は前半26分にコーナーキックからFW三平和司が先制点。後半39分に同点に追い付かれたが、延長後半11分のPKをGK河田晃兵がストップし、120分で決着がつかずにPK戦へ突入。河田は同点弾を決められたMF川村をPK戦で止めた。そのストップが間違いなく勝利を呼び込んだ。「1本しか止められなかったが勝てて、良かった」と守護神は言った。
リーグ戦からチームの躍進の原動力となった2年目のDF須貝英大はこの日もフル出場。地元出身の23歳は「今季はリーグ戦でサポーターの人も喜べた回数が少なかった中で、日本一を獲ることによって、あのような瞬間を全員で迎えられて、喜びを分かち合えて本当に良かった。小さい頃から応援してきた中で、地域密着でサポーターと選手が一体となって、泥臭く勝ちにこだわって頑張るのが甲府の良さ。本当に幅広い年齢層がいる中で、この瞬間をたくさんの人と迎えられたことが本当に嬉しい」と笑った。
甲府といえば、戦国武将の・武田信玄。旗印「風林火山」にちなみ、風(VENT)と林(FORET)のフランス語を組み合わせた造語を、95年からチーム名にした。99年からJリーグに参入も、2000年には累積欠損金が4億円超でクラブ存続の危機に陥った。地道な署名活動から復活し、06年にJ1初昇格。J1とJ2を行き来し、17年に3度目のJ2降格。今季のJ2での成績は40試合を終えた時点で18位と苦しい戦いが続いていた。
1965年に教員のOBチームだった鶴城クラブを前身に甲府クラブが誕生。そんな地方の小さなクラブが武田信玄も成し遂げられなかった天下統一をやってのけた。来季のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場権をつかんだ。
トレカジャーナル編集部