米野球殿堂は1月24日、全米野球記者協会選出の今年の野球殿堂入り選手を発表し、フィラデルフィア・フィリーズやセントルイス・カージナルスなどで活躍した名三塁手のスコット・ローレンさんが選出された。特別表彰で選出された強打の一塁手フレッド・マグリフさんとともに出席する殿堂入り式典は、ニューヨーク州クーパーズタウンで7月22日に行われる。
殿堂入り資格取得6年目で、選出に必要な得票75%を5票上回り、76.3%で選出された。1996年にフィリーズでデビューしたローレンさんは、メジャー17年間で、通算2077安打をマークし打率.281、316本塁打、1287打点。97年に新人王に輝き、球宴に7度、ゴールドグラブ賞に8度選出された。カージナルス時代の06年ワールドシリーズでは打率.421と活躍し、デトロイト・タイガースを下してチームの世界一に貢献した。
今年の殿堂入り選出候補は28人いたが、ローレンさんだけが選ばれた。得票数の2位は元コロラド・ロッキーズの一塁手、トッド・ヘルトンさんで、72.2%と選出にわずかに届かなかった。
ローレンさんといえば、忘れられない思い出がある。1997年8月24日のことである。ドジャースのビートライター(番記者)だったボクは、フィラデルフィアのダウンタウンのホテルから、ベテランズスタジアムへ徒歩で向かった。ビジターチームの練習は16時過ぎからなので、各球場までの街並みを歩いて散策するのが習慣になっていた。ベテランズスタジアムまでの道のりは1時間以上。途中でカードショップが2軒、さらに、玩具店の店頭にほこりを被ったひと昔前のノンスポーツカードのボックスを発見して大喜び。失礼ながら、けっして都会的ではない靴屋さんで当時、流行していた「エアマックス」がビニール袋に入って売っていて驚いた。
球場に到着すると、記者席に荷物を置き、ドジャースのロッカールームへ試合前の取材に行った。NPBと違い、MLBは試合前、試合後はロッカールームの出入りは自由。東西で時差がある米国では、試合前の取材を基に記事を書く。試合後にコメントする選手の姿は映像では使われるが、新聞では後日の記事で使われることになる。まずは、野茂英雄さんに挨拶して、雑談をする。不愛想な印象が強い野茂さんも、実は気さくな好漢である。もちろん、登板日や前日は話しかけないが、それ以外なら、雑談で大いに盛り上がることもあった。
前日の23日は5回で7安打を許したが3失点に抑え、救援陣も踏ん張り、12勝目をあげた。ロッカールームに入ると、何やら、いつもと雰囲気が違う。静まり返っている。用具担当に手招きされて聞かされたのは驚くべき事件だった。
フィリーズの3番打者、ローレンさんがドジャースのロッカールームにいきなり入ってきて、野茂さんに猛抗議したのだという。前日の試合は2打数1安打も野茂さんから死球を受け、途中で代打を送られていた。この死球が気に入らなかったらしい。もちろん、故意にぶつけたわけではなく、制球が乱れただけだったが、ローレンさんにとっては野茂さんは因縁の相手。メジャーデビューした96年にドジャースタジアムで野茂さんから初本塁打をマークすると、その試合で野茂さんから2号も放った。ライバルと認めているからこその怒りなのか、メジャーの暗黙のルール(報復=この場合はあてはまらないが)への怒りなのか、いくら何でも相手チームのロッカールームに怒鳴り込んでくるのはまずいでしょ。
ドジャースの関係者らが間に入って大事には至らなかったが、ノモは平然と聞き流していた、という。言うことだけ言って、ローレンさんは自分のロッカールームに戻った。
この事件は今、ネットで検索しても1行も出てこない。それでも、ボクにとってはかなり、印象が悪く、ローレンさんのカードはコレクションから消えた。しかも、ローレンさんはその年に新人王を受賞。そんな激おこぷんぷん丸を新人王に選んだ米球界にもちょっと、首をひねった。
ローレンさんは現在、子供を対象に野球教室を行う非営利団体「E5」を運営。「E5」とは三塁手のエラーのこと。そのキャップを被り、オンライン会見で喜びを表した。「チームのために、全力を尽くして戦ってきた。お世話になった全ての球団に感謝している。試合の流れに直接的に大きな影響を与える守備、走塁にこだわり、日々の練習を積んできた」。ロッカールームへの殴り込みもきっと「エラー」だったのだろう。お茶目なキャップとカッコいいセリフにちょっぴり、ローレンさんを好きになった。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。バブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のバブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。