エポック社のオンデマンドカード「Epoch One」で珍しい「バットマン」カードが発売された。
J2大宮アルディージャのFW大澤朋也が2月25日、NACK5スタジアム大宮での対ツエーゲン金沢戦の74分から途中出場。後半アディショナルタイムに決勝ゴールとなる今季初ゴールを決めた。
大澤は2月18日の対レノファ山口戦で、ゴール前で相手DFに顔面を蹴られる形となり、負傷。この日はフェイスガードを着けてのプレーで、その「バットマン」姿でのカードが実現した。
鼻などを負傷した時に、さらなる衝撃を防ぐために、顔に装着する「フェイスガード」「フェイスマスク」といえば、日本代表の宮本恒靖(ガンバ大阪)が2002年のFIFAワールドカップ日韓大会で着けたことがあまりにも有名である。
ただし、元祖はベルマーレ平塚の田坂和昭かもしれない。1994年、デビュー2戦目で眼窩底を骨折する大けがを負った田坂は1か月後に白いフェイスガードで復帰。宮本は「バットマン」と呼ばれたが、田坂はその不死身ぶりから「ジェイソン」と呼ばれた。田坂の「ジェイソン」カードは同年のカルビー「Jリーグチップス」でカードになっている。
それから、Jリーグでも多くの選手が様々な形の「フェイスガード」を着けてプレー。海外のサッカー選手でもおり、2014‐15の「WCCF」ではアトレティコ・マドリのマリオ・マンジュキッチのカードがある。昨年11月には谷口彰悟がFIFAワールドカップカタール大会前の練習に「フェイスガード」を着けて現れ、W杯での2代目「バットマン」、と話題になった。
2017年にプロ野球でも鳥谷敬内野手(阪神タイガース)が対巨人戦で着けたこともある。MLBでも形は違うが、アメリカンフットボールのようなフェイスガードを装着したヘルメットを被る選手がいた。
だが、実はそのタイプの「フェイスガード」はNPBが発祥の地らしい。1976年にロッテ・八木沢荘六投手(ロッテ・オリオンズ)から顔面に死球を受けアゴを複雑骨折したチャーリー・マニエル外野手(近鉄バファローズ)が復帰した試合でアメフット式のフェイスガードヘルメットで登場した。
カルビーの「プロ野球チップス」で、「フェイスガード」のマニエルのカードはある。MLBのカードでも存在する。現在は、MLBでもNPBでも、「フェイスガード」といえば耳当ての部分が長く伸びたタイプが主流になっている。
ほかにも、NBAで2014年にマイアミ・ヒート時代のレブロン・ジェームズが「フェイスガード」を着けてプレー。NBA選手でもデニス・ロッドマン、カイリ―・アービングら何人かが「フェイスガード」姿でコートに立ったが、その場面がカードになっているのはロッドマンぐらい。ロッドマンの「フェイスガード」はスケルトンである。
サッカーの「フェイスガード」カードはインターネットで探したが、極めて少なかった。そうなると、大澤の「エポワン」はかなりのレアなカードと言えるかもしれない。
21歳の大澤は大宮アルディージャのアカデミー出身で20年にトップチームに昇格した。21年3月27日の対V・ファーレン長崎戦でプロ初ゴールを決め、大宮のクラブ最年少ゴールの記録を樹立。昨年の愛媛FCへの育成型期限付き移籍を得て、今年1月に大宮に復帰したばかり。U15、U16日本代表にも召集されたホープで、「バットマン」カードの裏面ではイケメンの素顔を披露している。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。バブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のバブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。