彼と出会ったのは、彼がブラジルのキンゼ・デ・ジャウでプレーしていた18歳の時だった。
日本遠征で滋賀県高校選抜と対戦していたときだ。当時、私がサッカー専門誌の編集で試合が終わった後に、取材で京都の清水寺まで出向いて写真を撮ったりした。
何年か前に、横浜FCの練習場に行って少し話をする機会があったが、京都での取材を覚えていてくれた。三ッ沢にも何度か彼を見に出かけたが、彼がピッチに立つだけで夢があった。
本名は三浦知良だが、カズ、もしくはキング・カズの愛称で多くのファンに愛された。
ブラジル仕込みのテクニックとシザースなど強烈なサイドステップを駆使したドリブルを得意とした。ゴールを決めた後のダンスも一世風靡した。1993年Jリーグが開幕した時、カズはまさにスーパースターで、その華やかなプレーはJリーグでひと際輝いていた。現在は、JFLのアトレチコ鈴鹿クラブ(旧鈴鹿ポイントゲッターズ)に所属し、58歳を超えた今でも現役でプレーし、最年長選手としての記録を更新している。
Jリーグが発足して32年、全盛期のカズのプレーを見たことのないファンも多いだろうが、カズは日本サッカー界の至宝だ。
サッカー王国静岡に生まれ、静岡学園高を中退し、単身でブラジルに渡り、ジュベンス、キンゼ・デ・ジャウ、名門サントス、パルメイラスなどで活躍。1990年に当時の読売クラブに移籍。
その後、Jリーグの開幕では東京ヴェルディ(前ヴェルディ川崎)の攻撃の中心として活躍。この年のJリーグMVPに輝いた。真っ赤なスーツを着込み、ステージに登場した姿は今も記憶に残る。またこの年のアジア年間最優秀選手賞も受賞した。
しかし、カズは新たな挑戦として1994年にイタリアのジェノアに移籍。1995年にセカンドステージで古巣ヴェルディ川崎に復帰。
30歳となってケガと衰えを見せ始めたが、1999年にクロアチアのNKディナモ・ザグレブへ移籍した。だが、活躍の場がないままに、その年の7月に京都パープルサンガに移籍し、ストライカーとしての原点に戻った。
2001年にはヴィッセル神戸に移籍し、2005年までプレー。その年の7月に38歳となったカズは、横浜FCに電撃移籍。横浜FC時代に一時オーストラリアのシドニーFCに期限付き移籍を経て、2006年には再び横浜FCでプレーし、チームのJ1昇格に貢献した。出場機会は減ったが、ピッチのオーラは半端ではなかった。
2022年にはJFLの鈴鹿ポイントゲッターズに期限付きで移籍したが、その間もポルトガル2部のUDオリヴェイレンセでプレーするなど、あくなき挑戦を続けた。現在は、アトレチコ鈴鹿クラブで積極果敢なプレーを見せている。
クラブの経歴だけ見ても凄い。日本代表でも1990年に初出場以来、ドーハの悲劇も経験。1998年フランス・ワールドカップに向け、攻撃の中心だったが、加茂監督に代わって就任した岡田監督からワールドカップの最終メンバーから外されたことは、日本中のサッカーファンに衝撃を与えた。
日本代表として89試合に出場し、55得点を記録している。また2012年にタイで開催されたフットサルワールドカップの日本代表に選出されたこともある。
まさに日本サッカー界のスーパーレジェンドだけに、このコラムでは書ききれないほどの思い出がある。
さて、相場をオークションで見ると、2022年にBBM INFINITYの直筆サインカードは、が45,000円から50,000円と相変わらず高値。鈴鹿ポイントゲッターズのユニホーム姿で攻め込む写真は素晴らしい。
2021年のBBM MASTERPIECEは、懐かしい読売クラブ時代のユニホームで、相場は35,000円前後だ。
Jリーグ各クラブ時代のレギュラーカードを含めカズの経歴をカードでコレクションしても楽しいかも。日本代表も併せて歴史的なスターのトレカはどれをとっても価値があり、サッカーファンなら1枚は持っていてもいいと思う。
私も、2018年の日本代表オフィシャルトレカの1992ヒーロー・オブ・ジャパンのレギュラーカードに、横浜FCの練習場でサインをもらったカードは宝物として大切にしている。
ぜひ、皆さんもキング・カズのカードをチェックしてみよう。
Chief(ライター)
国内サッカーを中心にトレカの世界を長年に渡って見守って来た元スポーツ雑誌編集者。横浜F・マリノスサポーター。ラグビー、相撲にも造詣が深い。