NBA八村塁(ワシントン・ウィザーズ)が3月12日、対フィラデルフィア・76ers戦で9得点、2スチールで日本人初の通算1000得点を達成した。
第2クオーターに決めたこの日3点目のフリースローがメモリアルな得点となった。NBA通算1000得点。NBAでプレーしたアジア出身選手ではヤオ・ミン(ヒューストン・ロケッツ=通算9247得点、中国)、イー・ジャンリン(ミルウォーキー・バックスなど=通算2148得点、中国)に次ぐ3人目の「大台」で、出場77試合目での到達はヤオ・ミンの74試合に次ぐ2番目のスピード記録だった。
試合は101‐127で敗れ、今季成績は14勝22敗となった。ウィザーズは前半戦終盤で昨季の王者、ロサンゼルス・レイカーズを下すなど好調だったが、10日にスタートしたシーズン後半戦は2連敗。チームの浮上と、八村のトレーディングカードの市場価格の浮上には背番号8のさらなる活躍が必要不可欠だ。
NBAでプレーした日本人選手は八村とともに、今季、トロント・ラプターズとツーウェイ契約を結んだ渡辺雄太がいる。2018-19からの2シーズン、同じくツーウェイ契約を結んでいたメンフィス・グリズリーズ時代と合わせ、12日現在、渡辺は出場56試合で138得点をマークしている。そして、もうひとり、日本人で初めてNBAでプレーしたのが田臥雄太である。
田臥は2004年、フェニックス・サンズと契約し、開幕メンバーに登録された。前年は5月にダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加し、9月にデンバー・ナゲッツと契約。プレシーズン3試合に出場したが開幕ロースターには残れず解雇され、独立リーグのロングビーチ・ジャム・アルビレックスでプレーしていた。
サンズでは4試合に出場し合計17分、7得点3アシスト。田臥の歴史的な日本人NBA初得点は2004年11月3日に記録された。アトランタ・ホークスを本拠地「アメリカ・ウエスト・アリーナ」(当時=現フェニックス・サンズ・アリーナ)に迎えた開幕戦。第4クオーター2分、背番号1が日本人選手として初めて、NBAのコートに送り出された。38点差の大量リードも関係ない。当時、身長173センチながらプレシーズンで見せた鋭いパス、ドリブルで、「ライジング・サン」とニックネームがついた田臥へ大きな拍手と声援が送られた。大男が並ぶNBAでそのシーズン、173センチは2番目の低さだった。
5分27秒。初のファウルをもらい、観客も総立ちの中、2本のフリースローを決めた。7分には中央右から華麗に、初の3ポイントも成功。この試合での7得点が田臥のNBA全得点となるのだが、日本人初のNBAプレーヤーとして衝撃的すぎるデビューだった。
「ライジング・サン」の存在をトレーディングカード業界も見逃すはずがない。早速、UPPER DECKもFLEERもルーキーカードを次々に出し、直筆サインカードは当時、100ドル以上の市場価格がついた。現在はそこまでのプライスはつかないが、米国メーカーのレギュラーカードでも安定した人気がある。
田臥はその後、2005年にロサンゼルス・クリッパーズと契約したが開幕前に解雇。06年にマーベリックス、08年にはニュージャージー・ネッツのサマーリーグに参加したが再び、NBAのコートに戻ってくる夢はかなわなかった。08年8月にJBLの栃木ブレックスに入団し6年ぶりに日本復帰。40歳になった現在はB.LEAGUEの宇都宮ブレックスでプレーを続けている。
BBM「B.LEAGUE」の直筆サインカードは4,000~5,000円で取引されており、日本のトレカでも人気は高い。日本人選手としてNBAドラフト1位指名を受けスポットライトを浴び続ける八村はすごい。だが、不屈の魂を小さな身体に秘めて挑戦を続け、夢をかなえた田臥もすごい。八村の1000得点で、田臥の偉業とトレカが再び、スポットライトを浴びそうだ。
Cove(ライター)
国内外のコレクションアイテムを収集し続けて30年。専門はMLBとNPBだが、NBAはなぜか、KENNER社「STARTING LINE UP」だけは88年からコンプリートしている。レトロな雰囲気が最高!