MLBロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手が4月9日、対トロント・ブルージェイズ戦で今季3号ソロ。この一発で大谷はメジャー4年目でMLB通算50号に到達した。
日本人メジャーリーガーでMLB通算50本塁打を達成したのは、松井秀喜外野手(ニューヨーク・ヤンキースなど=175本塁打)、イチロー外野手(シアトル・マリナーズなど=117本塁打)に続く3人目。松井秀の329試合目・997打席目、イチローの760試合目・1393打席目に対して大谷は272試合目・997打席目と試合数でも打席数でも最速となった。
さらに大谷は、今季こそ「リアル二刀流」の「2番・投手」でスタメンに名前を連ねた試合でも「DH」が解除され打席に立っているが、昨季までは登板した試合は打順に組み込まれておらず、その投手のみの12試合も含んでの272試合なのだ。
「リアル二刀流」で今季2号を放った大谷だが、日本人投手のMLBでの本塁打を記録したのは4人。2000年・吉井理人(コロラド・ロッキーズ)、2004年・石井一久(ロサンゼルス・ドジャース)、2016年・前田健太(ロサンゼルス・ドジャース)、同年・ダルビッシュ有(テキサス・レンジャーズ)…そして、あのレジェンドが4本も記録している。しかも、日本人メジャー第1号本塁打もこのレジェンドだった。
野茂英雄は1998年4月28日、ドジャースタジアムでの対ミルウォーキー・ブルワーズ戦に先発した。自身MLB通算100試合目のマウンド。そして、7回にホセ・メルセデスから左翼にあるブルペンに記念すべき一撃を打ち込んだ。この試合で勝利投手にもなり通算45勝目もマークした。
NPB時代は近鉄バファローズに所属し、指名打者制のパ・リーグだけに打席には立っていない。91年の球宴でオリックス・ブルーウェーブのヘルメットをかぶり代打に起用されたことはあるが.三振に終わった。それでも、ドジャースに移籍した1年目の1995年には初安打も初打点もマークしていた。
トルネード投法でMLBを席巻した野茂。NPBで78勝をあげた後、MLBで123勝をあげ、日米200勝。2度のノーヒットノーランも達成した。トレーディングカードも多く、08年限りで現役を引退してからも、トレカ人気は高い。
大谷の50号を見て、野茂の日本人メジャー初本塁打を思い出し、ストレイジボックスを漁ってみた。95年のMLB球宴からドジャースの担当記者として3年間ほど、チームに帯同した。ホームゲームでは午前中にロサンゼルス、ビジターでは遠征先のトレカショップを巡り、週末はカードショーに行き、野茂カードを集めた。
3,200枚入りのストレイジボックス2箱から、出てくる、出てくる。野茂の打席でのカードはこんなにたくさん、作られていた。バントも、走者も、さらにバットカードもある。
MLBは当時、ロッカールームでの取材がOKだった。報道陣は自由にロッカールームに入ることが可能で試合前、試合後に選手から話を聞くことができた。登板しない日には、実はトレカ好きの野茂とはトレカの話もした。
ジャージーカード、バットカードの話題になった時、「これって本当に使ったユニホームとかバットなの?」と聞いたことがある。当時はアッパーデックがメモラビリアカードを乱発していた。
野茂はニヤリと笑って、コーヒーを片手にトレーナールームに消えていった。
その微笑みの意味は…。
そんなほろ苦い?思い出もよみがえった。
Cove(ライター)
国内外のコレクションアイテムを収集して30年余り。保護猫の姉妹を引き取り、在宅ワーク中。ストレイジボックスの上で昼寝をする2匹の様子が可愛すぎてれないのが今の悩み。元スポーツ紙ライター