トレーディングカードは様々である。1億円を超えるルーキーカードがあれば、市場価格は高くなくてもコレクター本人に熱い思い入れのあるカード。そして、珍カードである。珍しいカード=レアカードの日本語訳だが、珍カードは珍カードである。メーカーのミスで作られてしまったエラーカードもあれば、奇を狙いわざと作られたものもある。これを集めるのもトレカ収集の妙である。だが、珍カードだけを集めるコレクターは少ないし、なかなか入手できない。そこが珍カードの珍カードたる所以(ゆえん)なのだ。そこで、ボクが持っている、欲しい珍カードと、それにまつわるエピソードを紹介していきたい。
スポーツ紙に就職した頃、先輩から「記者にはニュースを抜くタイプと、記事のうまいタイプがいる」と聞かされた。世間知らずなボクはそれなら「二刀流」(当時は珍しい言葉だったが…)で、と大志を抱く。そこで、なぜか、米国のノンフィクションやコラムにハマる。「最高・最大のスポーツノンフィクション・シリーズ シリーズ・ザスポーツノンフィクション」(全13巻+別巻=東京書籍)を書店で見つけて読んだ。とりわけ面白かったのがその第10巻「アメリカ野球珍事件珍記録大全」(ブルース・ナッシュ、アラン・ズーロ著、岡山徹訳)だった。
その中に「もっともプロらしくない野球カード-風船ガムの男たち」という章があった。数枚のトレカが記載されているのだが、クロード・レイモンド投手(ヒューストン・アストロズ)の逸話は最高だった。1966年の「TOPPS」でポーズを取ったレイモンドだが、よく見るとズボンのチャックが開いている。「社会の窓」というヤツだ。これが事故なのか、はわからない。だが、翌67年の「TOPPS」で同じポーズで写真を撮影されたレイモンド。カードになってみると、またもや、チャックが開いていた。2年連続2回目の全開は、さすがにわざとだろう。そうなると、66年の事故だって故意だったのかもしれない。
長らくその存在を忘れていたのだが、約10年後、1997年に米国フィラデルフィアでなぜか、突然思い出すことになる。野茂英雄は選ばれなかったが、女房役のマイク・ピアザが2本塁打を放ちMVPに輝いたオールスターゲームである。ロサンゼルス・ドジャースの担当記者として単身赴任していたボクはメジャーリーガーばりの強行日程でロサンゼルスでのデーゲームの後、その夜にフィラデルフィアに飛んだ。ホームランダービーを翌日に控えまだ、1日の余裕はあったが、目的があったのだ。
米国のオールスターゲームが行われる都市では、球宴ウィークに球場以外に大きな会場を借り切って「ファンフェスタ」が開催される。MLBに関するファンのための大展示会みたいなものだ。トレカ、フィギュアなどのコレクションアイテム、アパレルなど限定商品や、ひと足早く新商品も並べられる。会場で購入したトレカのラップを何枚か集めてブースに持っていくと限定のセットがもらえる企画もあった。前年のテキサスでのオールスターゲームでの取材で「ファンフェスタ」の存在を知った。だが、気が付いたのは球宴前日でホームランダービーの取材後に会場に行ったため、わずか1時間の滞在で不完全燃焼の思いがあったのだ。
「ファンフェスタ」会場内には全米からトレカのショップやディーラーが集まりブースを出す。彼らだけでひとつの大きなホールが埋め尽くされるほどの広さ、しかも東京ドームなみの広さで、ちょうど、シカゴで8月1日に閉幕したばかりのトレカの祭典「ナショナル」みたいなものだ。そこを回っている時に偶然、出くわしたのがビンテージカードしか扱っていないカードショップのブース。そこで「もっともプロらしくない野球カード」を思い出した。ブースにいた店主らしきオヤジにそのカードの在庫を聞こうとしたが、うまく伝わらない。「お前のチャックは閉まっているぞ」と指をさされる始末だった。
そこで1966、67年のTOPPSはあるのか、聞くと、ストレイジボックス2箱を裏から出してきてくれた。ドキドキしながら探してみるとそこに2枚が…。初めての生「レイモンド」、いや実物の「社会の窓」カード。さぞかし、高いのだろうと思って価格を聞くと、1枚1ドルだ、という。笑いながら、在庫すべて、それぞれ3枚ずつを購入した。今、思えば1枚ずつでいいのに。袋に入れてもらった後にもう一度、説明したが、それでも首を横に振るばかりだった。
帰国後、しばらくして、知り合いを通じて、フジテレビで人気だった「トリビアの泉」に提供して、出演者に「へぇボタン」を連弾していただいた。あのショップのオヤジには認められなかったが、日本では認められて嬉しかったことも思い出した。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年余り。保護猫の姉妹を引き取り在宅ワーク中。