野球漫画の第一人者、水島新司さんが1月10日、天国へ旅立った。所属していた水島プロダクションが発表した。肺炎で都内の病院で亡くなり、故人の遺志により葬儀は親族のみで執り行った。82歳だった。
水島さんの作品は数多い。「男どあほう甲子園」「ドカベン」、「野球狂の詩」、「あぶさん」、「一球さん」「おはようKジロー」などなど…。中学生時代から、連載をリアルタイムで楽しませていただいたボクだけでなく、野球界をはじめ、多くの関係者が死去の発表から数日経った今でも追悼のコメント、悼む記事やニュースが続いている。
スポーツ紙のライター時代、何度か、水島さんを取材させていただいたことがある。というか、ネタに困った時にまず、思いつくのが水島さんの存在だった。
とりわけ、西武ライオンズ(当時)を担当していた時は、ドカベンこと山田太郎が「プロ野球編」でライオンズに入団してしまった。当時は球界を代表する伊東勤捕手が現役で、レギュラー争いはどうなるのか、これは大事件です、と漫画に疎いデスクに懸命に説明した。水島さんに電話して理由を聞くと「伊東がいるからこそのライオンズなんです。すぐに山田太郎がプロ野球の正捕手になってはいけない」というようなコメントをいただき、妙に納得した覚えがある。
オフには渡辺久信投手(現GM)が、悪球を岩鬼一美に本塁打されたことについて、裁判形式のテレビ番組で水島さんを訴えた。訴訟はナベQが勝訴し、要求通り、劇中でノーヒットノーランを達成。水島さんが花束を持って球場で祝福する場面が描かれた。さらに、実際に96年にノーヒッターを達成した際には、花束を実際に持って球場を訪れる粋な演出もあった。話を聞くと「渡辺久信は何度もノーヒットノーランをあと一歩で逃していますから」と笑わせてくれた。
漫画界の発展への貢献で2005年には紫綬褒章を受章した。トレーディングカード界へも大きな影響を与えた。水島さんの作品を読んで野球を始めた子供たちがプロ野球選手になり、トレカになった。そのカードを集める楽しさをファンやコレクターが広め、伝えていくことでトレカも発展していったのだ。何より、2000年にはエポック社から3年間、「水島新司コレクションカード」がシリーズ化され発売された。第1弾だけでなく、第2弾「ドカベンカード」、第3弾「ドカベン プロ野球編カード」も人気を集めた。BBMのチームセットでは西武に山田太郎が、福岡ダイエーには景浦安武が封入された。
2020年12月1日で63年間の漫画家生活を引退することを発表。最後の作品は2018年8月の「あぶさん」の読み切りだった。たしか、「あぶさん」の広告企画でインタビューした際には「一度も連載を休んだことがない」と自慢していた。草野球の選手としても年間160試合をこなし、通算200勝をマークした、という。水島さんは今、天国のマウンドで白球を握り、打席でフルスイングしているに違いない。
合掌。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。日本唯一(自称)のバブルヘッドライター。トレカ収集はレギュラーカードのコンプと日本人メジャーが中心。