G.G.佐藤外野手(本名・佐藤隆彦)が衝撃の復帰を飾り、再び、引退した。独立リーグのルートインBCリーグ、埼玉武蔵ヒートベアーズと1日限定の契約を結んだ佐藤は4月29日、千葉・浦安市運動公園野球場での神奈川フューチャードリームス戦に「1番・DH」でスタメン出場。中前安打、三塁ゴロ失、左翼線安打、中越え適時二塁打と4打席すべてで出塁した。
独立リーグのレベルが低いわけではない。そこでプレーする選手を見下しているわけではない。この一戦にかける佐藤の思いが熱かったのだ。佐藤が勤務する企業がヒートベアーズのスポンサーであることがきっかけで、集客と独立リーグを盛り上げるために実現した8年ぶりの復帰戦。雨でも佐藤の情熱は冷ませなかった。
かなりのトレーニングも積んでいたのだろう。43歳とは思えない打撃にスタンドは沸き、グラウンドの選手も多くを学んだ。
5回に同点打を打ち、代走と交代。ヒートベアーズの攻撃が終わると、千葉ロッテマリーンズでの引退時にはなかった引退セレモニーも実施された。松坂大輔さんの埼玉西武ライオンズでの引退セレモニーにはイチローさんが登場したが、この日はイチローさんのそっくりさんのニッチローから花束を渡された。セレモニー後、降雨で再開不可能と判断され、試合はコールドゲームでドローとなった。
実は佐藤さん(再びの引退で「さん」付けになった)とは、22年前の2000年にお会いした。野茂英雄さん、伊良部秀輝さんの取材で親交があった代理人の団野村さんから携帯電話で呼び出された。「うまいラーメン屋さんがあるんですよ。一緒に食べませんか?」。そんなことでわざわざ、電話をしてくるはずがない。そこにはラーメン以上に「おいしい」ネタがあるに違いない、とふんだボクはすぐに会社から池尻大橋の指定された店へ向かった。
そこで、待っていたのが、法大を卒業したばかりの佐藤さんだった。西武ライオンズ時代にお立ち台で「キモティー」と絶叫することとなるのが信じられないほどの大人しい青年だった。「今度、米国へ行くんですよ」と野村さんに紹介された。線も細かったが、太ももだけはパンパンだったことは覚えている。その時に「登録名はジジィです。いや、G.G.です」と言われてもピンとは来なかった。頑張って欲しい、とは思ったが…。
今思えば、日本の大学からそのまま、米球界でプレーするのだから、大したチャレンジである。それでも、その後、ボクは佐藤さんの存在を忘れていた。記者失格である。
それから3年後、来日外国人のカードを探している時に、仲良くなったマイナーリーグのトレカ専門ショップのスタッフがおまけとして送ってくれたのが、フィラデルフィア・フィリーズ傘下1Aのバタビア・マックドックスの2001年版と02年版のチームセットだった。
そこにはひとりの日本人選手のカードが…。名前は「G.G.SATO」とある。そんな、まさか、馬鹿な!
驚いた。登録名も言っていた通りだった。さらにビックリしたのが、その年のNPBのドラフト会議でその「佐藤隆彦」の名前が呼ばれたのだ。どこかで聞いた名前だなと思い、続いて、所属が「法大卒」と呼ばれ、やっと気が付いた。西武からドラフト7巡目で指名され、その後の活躍はご存じの通りである。
2度目の現役引退となった佐藤さんだが、ボクはルーキーカードが全盛の時代に、マイナーリーグのカードの価値がもっと上がらないかと願っているのだ。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。バブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のバブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。