アントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが10月1日、亡くなった。関係者が明らかにした。79歳。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病生活を送っていた。猪木さんは「燃える闘魂」と呼ばれた元人気プロレスラーで、政治家としても参議院議員を計2期、務めた。
1943年、横浜市で生まれた猪木さんは中学時代に家族とともにブラジルへ移住。60年、ブラジル遠征中だったプロレスラー、力道山さんにスカウトされて日本に帰国、日本プロレスに入団した。60年9月にデビューし、同期のジャイアント馬場さんとのタッグは「BI砲」と呼ばれた。
72年に新日本プロレスを旗揚げ。「ストロングスタイル」と呼ばれる格闘技色の強いプロレスで人気を集め、新日本プロレスからは藤波辰爾(たつみ)さん、長州力さん、前田日明さん、高田延彦さんら多くの人気レスラーが生まれた。
他の格闘技との交流も積極的に行い、76年6月に東京で行われたプロボクシング統一世界ヘビー級王者、モハメド・アリさんとの異種格闘技戦はドローに終わったが、世界的に話題を呼んだ。
政治家としては89年に「スポーツ平和党」を立ち上げ、「国会に卍固め」、「消費税に延髄斬り」をキャッチフレーズに同年の第15回参議院選挙に比例区から出馬し初当選。史上初のレスラー出身の国会議員となった。
ビンタで気合をいれるパフォーマンスも人気で、多くのスポーツ選手や著名人も頬をはられ、感謝した。
98年にプロレスラーとしての現役を引退した際には引退記念のトレカセット「猪木イズム」がBBMで作られたほか、BBMのプロレスカードなど多くのカードが作られた。
昨年は米国大手オークションハウス「Goldin Auctions」で猪木さんのカードを含めた17枚のカードが出品され、9,225ドル(約101万円=当時)で落札された。フィギュア「スーパープロレスラーシリーズ」に付属していた17枚のカードで、そのうちのハルク・ホーガンとアントニオ猪木さんの2枚がPSAグレーディング鑑定を受け、7点と評価されていた
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トレカジャーナル編集部