1991年の夏のことである。その日、ボクは高校野球の埼玉県予選を取材した後に、東京ドームに移動して、巨人担当の先輩たちの手伝いをする予定だった。デスクに予選の結果を電話すると「原稿を書いてから、東京ドームに行く前に、〇〇ホテルに顔を出してくれ」と命じられた。
そのホテルで何やら記者会見があるという。デスクに聞くと「新しい野球カードとか、なんとか、よくわからんが、ベーマガ(ベースボールマガジン社)
さんの発表なんで行ってくれ。お前、カード集めていたろ」と言われた。80年代後半から、先輩が米国旅行のお土産で買ってきてくれたことがきっかけで、ベースボールカードを収集していた。日本でカルビーの野球チップスはあったが、MLBのトレーディングカードを収集している人は少なかった。ましてや、そのスポーツ紙の社内にもボク以外はいなかったはずだ。
会見場は多くのマスコミが集まり、意外にも熱気に包まれていた。この会見こそ、日本のトレカ史に残る「BBM」の制作発表だった。ここで各社に資料用に配られたのが「91 BBM ベースボールカード」1箱と、「91 BBM オールスターセット」だった。大事にカバンにしまい込んで、東京ドームでの巨人戦の取材後にいったん、会社に戻り、ハイヤーで帰宅したのは真夜中だった。
暗い自室で、わくわくしながら開けた「BBM」の興奮を今でも覚えている。日本で初めての本格的なパック売りのトレカ。裏面はちゃちかったが、表面の写真もよく、デザインもシンプルながら、カッコよかった。星野伸之(オリックス・ブルーウエーブ)だけが抜けていてコンプリできなかった。そして、「オールスターセット」も米国のカードメーカーの追加セットみたいでカッコいい。カードナンバーは「BBM」からの続き番号になっていた。気が付けば、徹夜してしまい、あくびをしながら、翌日、現場に向かった。
それから、数週間が過ぎ、商品の発売後、「オールスターカード」にミスがあったことが発覚する。日本の「エラーカード」の代表作となる、古田敦也捕手(ヤクルトスワローズ)の裏焼きカードである。不覚にも、セットをいただいた日に間違いなく、開封してみたのに、ボクは気が付かなかった。会見でセットをもらったマスコミも誰ひとりとして気が付かなかったはずだ。トレカの認知度が低かった時代だから、ボックスを開けもしない人もいたはずである。
右利きの古田が左手にミットを持っている。きっと、古田のファンが発見したのだろう。「古田の裏焼きカード」は一時期、2万円を超える市場価格で取引された。そのカードが封入されたセットも2万円の値がついた。
BBMでは、すぐに、修正版を制作しなかった。トレカにはこういう「楽しみ」もあるということを広めるためだったのだろうか。後に2000年になって、「スポーツカードマガジン」が創刊20号からスタートした「BBM CARDS HISTORY」の新連載を記念して付録として、10年ぶりに修正版カードを制作し、袋とじした。
この10年間で、「BBM」は世界基準のトレカとしての地位を築き、日本のトレカ文化の発展に大きく貢献した。そういう意味では「古田の裏焼きカード」は「珍カード」というより「名作カード」と呼ばなければいけないかもしれない。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。バブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のバブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。