米オークションハウスの「PWCC Marketplace」で5月11日、ビル・ラッセル(ボストン・セルティックス)のルーキーカード「1957 TOPPS」 #77(PSA8.5)が660,000ドル(約9,000万円)で落札された。
バスケットボールの1980年以前の「ビンテージカード」では、2022年3月に売買されたジョージ・マイカン(ミネアポリス・レイカーズ)のルーキーカード「1948 Bowman」の800,000ドル、2022年6月に売買されたウィルト・チェンバレン(フィラデルフィア・ウォーリアーズ)のルーキーカード「1961 Fleer」の670,000ドルに次いで、史上3番目の落札額となった。
「PWCC Marketplace」のジェシー・クレイグ販売担当副社長はコメントを発表。「販売価格だけでなく、歴史的な観点からこのカードの価値を評価する必要がある。このカードにPSA10は無く、現存するPSA9は3枚だけで、いずれもオークションに出品されたことはなく、今回のPSA8.5も2枚しかない。この1枚はビル・ラッセルの『1957 TOPPS』で、(入手可能のカードの中でも)世界で最も美しいものである可能性がある。このカードが、博物館に並べることが可能なほどの高品質である事に議論の余地はない」とした。
ビル・ラッセルは1950年代から60年代にかけてセルティックスを11度のNBAチャンピオン(8連覇を含む)に導き、MVP5回、オールスター選出12回を誇るバスケット界のレジェンド中のレジェンド。得点力ではなくブロックショット、マンツーマン・ディフェンス、リバウンドなど守備でチームに革新を起こし高い知性とリーダーシップでセルティックスに黄金時代をもたらした。
コートでの活躍だけでなく、アフリカ系アメリカ人初のNBAスター選手として人種差別に立ち向かい、公民権運動の象徴としても社会に強い影響を与えた。1966-67シーズンには北米4大スポーツ初のアフリカ系アメリカ人のヘッドコーチとなり、翌67-68シーズンにはファイナル優勝も果たした。スポーツの枠を超えた文化・社会への貢献が認められ、2011年には大統領自由勲章を受章。昨年7月31日に亡くなった際には、NBAがラッセルの現役時代の背番号「6」をリーグ史上初めて、全チームで永久欠番とすることを発表した。
なお、MINTモールでもビル・ラッセルのカードは販売中で、「1961 FLEER」(PSA4)は140,000円で出品されている。
Norn(ライター)
米4大スポーツがメインのコレクター。各球団のポケットスケジュールを集めていたが近年のペーパーレス化で絶滅しかかっているのを悲しんでいる。マイナーの試合にも足を運ぶBowman愛好家。