日米のマットで活躍したプロレスラーのテリー・ファンクさんが天国へ旅立った。所属した米プロレス団体のWWEが8月23日、発表した。79歳だった。
米テキサス州アマリロで育ち、ウエスト・テキサスA&M州立大ではアメリカンフットボールで活躍した。卒業後の1965年にプロレスラーだった父親の影響もあり、兄のドリー・ファンク・ジュニアを追いプロレス界へ。ドリーとの兄弟タッグ「ザ・ファンクス」を結成。1971年には、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんを破り、インターナショナル・タッグ王座に輝いた。1975年にはNWA世界ヘビー級王座も獲得し、史上初の兄弟世界王者となった。
1965年にプロレスデビューを果たしたテリーさんは回転しながら足首にダメージを与える「スピニング・トーホールド」や股裂きの状態で押さえ込み、リングを回り続ける「ローリングクレイドル」などを決め技に「テキサスの荒馬」や「テキサスブロンコ」とも呼ばれ、人気を博した。
日本では珍しかったベビーフェイスの外国人選手で、ヒールレスラーとのバトルはさらに盛り上がった。1977年12月、蔵前国技館での世界オープンタッグ選手権では、ブッチャー&ザ・シーク組と大流血の戦いは歴史に残るバトルとなった。フォーク攻撃を受け、テリーさんは右腕を負傷し、大流血。それでも、優勝した試合は伝説の一戦と言われる。
新日本プロレスやFMWなどのリングにも参戦。人気漫画「キン肉マン」に登場する「テリーマン」のモデルにもなった。2009年にはWWEの殿堂入りし、17年までリングに立ち続けた。WWEはこの日、テリーさんについて「最もタフな男の一人」とたたえ、悼んだ。
スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さん…数々のトップレスラーと激闘を繰り広げ、日米プロレスファンの心をつかんだテリーさん。2021年には米国大手オークションハウス「Goldin Auctions」でフィギュア「スーパープロレスラーシリーズ」に付属していたトレーディングカード全17種類が9,225ドル(約101万円)で落札された。
このフィギュアは日本の玩具メーカー「ポピー社」が梶原一騎プロの承認を得て1980年代に発売。ブッチャー、マスカラス、ザ・ファンクス、アンドレ、タイガーマスクなど全日本プロレス、新日本プロレスで活躍していた人気レスラーのフィギュアとカードがセットでブリスターに入っており、状態のいいものは日本では1体5万円前後で取引されている。そのカードのフルコンプリートで、テリーさんのカードも、兄のドリーさんとともに含まれている。
トレカジャーナル編集部