大谷翔平選手(ドジャース)の4年連続4度目のオールスターゲームでのスタメン出場が決まった。ファンは夢の球宴での大谷の初ホームランを期待して、コレクターは今秋に発売されるTOPPS「Update Series」にどんなカードが収録されるのか、楽しみでしょうがない。
日本人メジャーリーガーでMLBのオールスターゲームに初めて出場したのは、言うまでもなく、野茂英雄投手である。大谷にとってはドジャースの先輩にも当たる野茂は1995年に渡米してMLBに挑戦。6月に2完封を含む6勝0敗、防御率0.89という成績を残したことが認められ、監督推薦でレンジャーズの本拠地(当時)のボールパーク・イン・アーリントンでのオールスターゲームに選出。グレッグ・マダックス投手(ブレーブス)の故障もあり、先発のマウンドに立つ快挙を成し遂げた。
しかも、アメリカン・リーグのそうそうたるスーパースターを相手に2イニングを1安打無失点。1番のケニー・ロフトン外野手、3番のエドガー・マルティネス内野手(マリナーズ)、5番のアルベート・ベル外野手(インディアンス)からは三振を奪ってみせた。
この年、MLB取材1年目のボクは試合後も興奮が冷めなかった。熱帯夜に、冷房の壊れたテキサスのホテルで、真夜中に汗をダラダラ流しながら、ワープロ(当時はパソコンではなかった)を打っていたのが懐かしい。この快投はのちにトレーディングカードになって再現され、またまた、ボクを感激させたものである。
この初めてのオールスターゲームの取材でさらに感激することがあった。球場近くの大きなホール(今、思えば、東京ドームくらいの広さ)を借り切って、MLBでは「ファンフェスタ」なるイベントを開催していたのである。展示物や、来場者が体験できるアトラクション、限定グッズの販売、そして、カードショーである。そこで、「ファンフェスタ・カード」の存在を知った。
たしか、会場で販売されていた野球カードのパックを開封して、その空パックを10枚、集めて、主催のPINNACLE社のブースに持っていくと、1枚、限定のカードと交換してくれる。これが30種類。さらに、各社(5社)のブースでも空きパックとカードの交換があって、この時は、レンジャースのレジェンド、ノーラン・ライアンのスペシャルカード(5種)だった。
オールスターゲームに出場する選手を中心にしたこの30種の中に野茂のカードは収録されていなかった。現在でもそうだが、やはり、カードの制作と実際には時差がある。1か月以上前から、球宴に合わせカード制作が進行することを考えれば、しょうがない。野茂はこの年、日本からやってきたルーキーだったのだから。
そして、翌1996年である。フィラデルフィアでのオールスターの取材に向かったボクが楽しみにしていたのが、ベテランズ・スタジアム(当時、での一夜限りでの真夏の夜の夢と、リバティ・ベル(自由の鐘)…ではなく、「ファンフェスタ」だった。会場で早速、「ファンフェスタ・カード」を収集すると、何と、オールスターゲームに出場しない野茂のカードがあるではないか。ショップのブースでは30種類のセットのフルコンプが30ドル前後で早くも販売され、野茂のシングルは5ドルの値がついていたので、早速、セットとシングルを購入した。
この年は、前年のオールスターゲームでもバッテリーを組んだマイク・ピアザ捕手(ドジャース)が2本塁打してMVPに輝いた。記者席で、野茂が出場していればなあ、と幻の球宴カードを観ながら思ったものである。
ちなみに、野茂のMLBでのオールスターゲーム出場は1995年1度だけ。しかし、野茂の「ファンフェスタ・カード」は96年に続き、ロッキーズの本拠地、クアーズ・フィールド(当時)で球宴が開催された97年にも作られて人気を集めた。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。バブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のバブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。