MLBアスレチックスなどで活躍し、通算1406盗塁の歴代最多記録を持つ、リッキー・ヘンダーソンさんが天国へ旅立った。65歳だった。12月21日、MLB機構などが発表した。
1979年にアスレティックスでメジャーデビューしたヘンダーソンさんは、1980年にシーズン100盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、1982年にはシーズン最多記録の130盗塁をマークした。
1986年まで7年連続で盗塁王に輝くなど、「大リーグ史上最高のリードオフマン」とも呼ばれ、2003年限りでドジャースで現役引退するまで25シーズン、あわせて9球団(のべ13球団)で歴代最多の通算1406盗塁を積み重ねた。通算2295得点も歴代最多です。
2009年に米国野球殿堂入りしたほか、背番号「24」はアスレチックスの永久欠番となっている。
2024年9月26日にはオークランドからの移転が決まっていたアスレチックスの本拠地最後の試合で始球式に登場し、地元のファンを盛り上げた。
ヘンダーソンさんがパドレスに所属していた1997年のことである。当時はまだ、パドレスはNFLのチャージャーズと本拠地クワルコム・スタジアムを兼用していた。試合前の練習中にロッカールームを取材で訪れた(MLBは時間制限こそあるがロッカールームは出入り自由なのだ)ボクは幸か不幸か、気がつくとヘンダーソンさんと二人きりになっていた。
実はこの日、ブルース・ボウチー監督にこっそり聞きたいことがあって訪れたパドレスのロッカールームだった。当時、千葉ロッテが伊良部秀輝さんをパドレスに移籍させることを発表していた。後日、代わりにパドレスから二人の選手が移る実質的な交換トレードだったが、ボウチー監督に伊良部さんへの期待度を聞きたかったのだ。
監督室に直撃する前に、ヘンダーソンさんと目が合うと、世界の盗塁王が手招きしているのではないか。呼ばれるまま、座っている露ロッカーの前に行くと「まあ、座って。何か聞きたいんだろ?」といすまで用意してくれた。
こうなると、聞くしかない。「ヒデキ・イラブを知っていますか?。ヤンキースに入団したいのにパドレスに入ってくる投手です」と質問すると「知らないね。そんなにすごい投手なら楽しみだね」とありがたいコメントを頂戴した。さらに「日本の野球には興味がある」というヘンダーソンさんに「伊良部の代わりに千葉ロッテでプレーしては?」と聞いたところ、ムッとしながらも「それは遠慮させてもらうよ。ハハハ」と礼儀正しさとともにプライドを感じた。今考えると、まったく失礼な話である。申し訳ございませんでした。
プレーももちろんすごいが、これぞ、メジャーリーガーぶりを感じた。それから、ヘンダーソンさんのトレーディングカードは気になるようになった。ちなみに、このロッカールームで手招きパターンはレッドソックスの本拠地・フェンウェイパークでのノマー・ガルシアパーラ遊撃手もそうだった。
MLB機構のロブ・マンフレッドコミッショナーは「何世代もの野球ファンにとってリッキー・ヘンダーソンは盗塁とリードオフの金字塔だった。スピード、パワー、エンターテインメントを象徴する選手として打線の先頭を走り続けた。大リーグを代表して、世界中の野球ファンに深い哀悼の意を表する」とコメントした。
Cove(ライター)
元スポーツ紙ライター。国内外のコレクションアイテムを収集して30年あまり。バブルヘッドのコレクションが自慢で日本唯一のボブルヘッドライター(自称)。トレカはレギュラカードのコンプリと日本人メジャーが中心。